日記277

内田樹の「寝ながら学べる構造主義」を読み返している。この本、こんなに面白いんでしたっけ?

・冒頭の、マルクスヘーゲルから受け継いだ労働の定義が胸に刺さります。引用すると、「人間は彼によって創造された世界のなかで自己自身を直観する」。

・労働と、その成果物である人為的創造物からしか、人は自分自身を知ることができないっちゅうことですよ。本書では、脱-中枢論の始まりの警句ということで冒頭にこれを取り上げてるわけですが、まぁ、含蓄が深すぎる

・ぼくが最近考えていることとして、世の中の(ほとんど)すべてのものはアートである、という命題があるんです。アーティフィシャル、つまり人が作ったもの以外のものは、ほとんど存在し得ない。

雄大大自然とか、太陽とか原子はどうなんだと言うのは安直な反論なのでお控えください。大自然は、「人類が手付かずのまま残している」という意味でもアーティフィシャルと言えるし、何より、太陽や原子も含めて、「あるものは、観察されるまで、あるかどうかわからない」という前提を受け入れるならば、すべてのものは人間が発見し定義付けたという意味で、人間の努力の産物なんですよ

・んげ。平日からこんなこと考えてていいんですか?

・で、そんな折に、ヘーゲルやらマルクスやらが、「人は自分で作ったものでしか自己を規定できない」ってんですから、胸にも刺さりますわ

・疑問があります。①ニートのような、(徹底して)何も生産しない個人を仮定すると、その人は何によって自分を規定するのか?②自己の生産物で自分を規定する動物、は考えられないのか?

・これ、ヘーゲル読まなきゃ分かんないんですか?