日記77

・ラッキーセブン的なサムシングですね。1年の5分の1が終わってます。

・「負けたものがみな貰う」(グレアム=グリーン)をひいひい言いながら読んでます。めちゃめちゃ面白い。結婚したばかりの若夫婦の不安定な関係が、ハラハラでたまらない

・為替の話をしなくちゃいけない決まりもないので、今日は与太話をします

・ぼくは銭湯が好きでよく通うんですけど、その理由を考えてたんですよ

・よくある話として、銭湯とか、まあ温泉とかですかね、こういう場所は、日常から離れてリラックスできるから好まれるという説明があり得ると思うんですけど、ぼくはまったく逆じゃないかと思うんです

・銭湯って、もともとは、っていうか今もそうですけど、公衆浴場としての役割が強いんですよ、単なるリラクゼーション施設ではなくて。んで、公衆というからには、当たり前ですけど多くの人が集まりますから、必然的に社交の場、社会的な場であるわけです

・社会的な場というからには、そこにはルールが存在しなくてはなりません。ご多分に漏れず、湯場にも多くのルールがあります。それをここで列挙する気はないですけど、何が言いたいかというと、銭湯は人々が日常使いする施設として、公共のルールに縛られた、不自由な場なんです

・さて、今日、とくに近代以降の人類は、西欧を中心に、自由というものに大いなる価値を見出してきましたね。自分を含む誰かの自由を保障することは、人類の義務であり特権であり、自分の意志にのっとって自由に行動できないことを近代人は極端に嫌います

・ところが一方で、人間は常に何かになりたい、何かの役割を背負いたい、つまり、誰かに規定されたいという思いも、一方で抱えてるんです。わがままか

・親になりたい、良き夫になりたい、プロフェッショナルになりたい、医者に宇宙飛行士にetc…。

・そうしたもとで銭湯に立ち返ってみると、銭湯では然るべきルールに則って振る舞うことによって、自分が良き社会人であることを自覚でき、何かしらの安心感を得られるという側面があると思うんです

・こんなことを考えながら銭湯に通ってる変態がほかにいるのだろうか