日記465

・えーと唐突ですけど社会学者の宮台真司の言説について書きます

・時々、自分には社会学の視点が必要になります。最近、coreeconでマクロ経済学の予習というか復習というかをやってるんですけど、結局現代のマクロ経済学の理論って均衡に尽きるっていう感覚があるんですよね。それはなんというか、現代の経済学理論が持つ数学的特性からして仕方ないんですけど、算術としての解に辿り着くことが経済現象の原因も結果も説明していて、それ以上でもそれ以下でもない、はいおしまいみたいな、分かりやすさと冷淡さの極みみたいな境地なんですよね

www.core-econ.org

・ただ現実の経済現象に対しては、当たり前ですけど規範的な分析の視点を忘れてはいけないですし、初級マクロ経済学で平準的に前提されている理論の枠組みから外れて、社会経済一般の構造について議論することも必要だと思うんです。例えば今、上記の労働経済のモデルをやってるんですけど、ジニ係数がどうやったら上がったり下がったりするかをモデルで説明することは簡単ですよね。失業率が上がるか、マークアップ率が上がれば、ジニ係数は上がり、世の中の”格差”は拡大する、ということになります

・でもこれだけで貧富の格差を論じることは、当然ながらできないんです。「格差を解消しよう」という議論になった時に、失業率を下げてジニ係数が下がりました、はいおしまいということにはなりません。そもそもなぜ、格差が問題とされるのか、どのような格差だったら許容されるのか、なぜある特定の社会では格差が構造的に立ち現れてくるのか、それに対して人々は何を感じ、どのように行動してきたのか、といったことを総体として押さえないといけないんです

・その先にようやく、公共政策や経済政策を考える意味があると思うんです。だから今の自分にできることは、社会学の視座に少しでもにじり寄って、社会課題の背景にある構造を少しでもクリアに見つめる努力をすることだと思うんです

・そういう意味では、いきなり話が逸れますけど、金融政策が民主主義の基礎の上に成り立っていないというのは結構意味があることなんだと思います。財政政策と金融政策、そのどちらもが民主主義の上に成り立っていたら、およそ経済政策というものがスピーディに適切に判断されないリスクにさらされてしまいますから