日記466

・それで、金融政策について思うことを少し書きます。自分の直観を書き殴っているだけで、アカデミックな背景は何もありません

・まず、全ての金融政策は技術的な調整に過ぎないと断じるところから始めましょう。QQEとかマイナス金利とかYCCとかどんなに振りかぶってみても、過熱した経済を冷やし、過冷した経済を下支えする、以上の効能を金融政策に求めるのは間違っていると思います

・そうすると、分かりやすく問題になるのは、いかにして経済の過熱/過冷を見抜くかということです。これは複雑ですが、技術的な問題です。各国の金融政策実行主体(中央銀行や準備銀行)には、この問題に対しての技術的な経験則の蓄積があるはずです

・それで、誰もが考えることですが、果たしてAIは中銀総裁に取って代わるか、という問題は、もっと積極的に論じられてしかるべきだと思います。もしも金融政策が百パーセント、技術的な問題ならば、全てのパラメータを設定/入力することで、確実に効果のある政策を発現させることができるはずです。極端な話、かつての公定歩合制に戻したうえで、超高頻度でそれを調整し続け、常に最適な水準に金利を設定/誘導することができるのではないでしょうか

・なぜAI総裁とか、それに準じた発想が各国に立ち現れてこないのか?これはAI側の問題なのか、金融政策側の問題なのか、どちらでしょうか。

・さて、これを読んだ皆さんが今思い浮かべてるのは、物価の安定のためだけの金融政策ではないでしょうか?多くの国の金融政策は、マクロな金融システムの安定も目標としています。もしかして、そこまで考慮すると、つまり、金利の上げ下げによって物価だけでなくマクロ金融システムに影響を及ぼすこともあり得るから、そこまで現状のAIの判断の範囲が及ばないから、AI総裁は実現しないのでしょうか。

・でもそれでは、AIの性能の問題にすり替わってしまいます。論点はたぶん、そこではない。たぶん、公共的な政策に対して、ひとびとが期待する何かがあり、それはAIでは実現できないという直観がひとびとの間にあるから、AI総裁は出てきていないのです

・その期待のポイント、境界線は何なのでしょう。少しずつ紐解いてみましょう