日記428

・よく銭湯とかサウナに行くんですよ。今日はここからイイ話をします

・本当にいろんな銭湯に、場所によっては何度も通ってるんですけど、最近、あることが分かってきました

・何度も行きたくなる銭湯って言うのは、やっぱり清潔感があるんですよ。当たり前だろと思いました?

・じゃあどんなところで清潔感を感じるのか、ないしは、清潔感のある銭湯の条件っていうのは何だろうと考えてみたいわけですよ。例えば、最近リニューアルしましたとか、最近設備を入れ替えましたみたいな銭湯に、清潔感が備わっている場合が多いんじゃないかと思われるかもしれません。ところが、実際は違うんです

・真新しい温水設備を備えているのに清潔感の全然ない銭湯って、存在するんです。というか、昨日、そういうサウナにたままた入ってしまって、萎えたという話でもある

・で、結局、清潔感のある、何度も行きたくなる銭湯っていうのは、頻繁にスタッフが浴場や更衣室を訪れているんです。そこで足ふきマットを変えたり、湯をチェックしたりしてくれるわけですけど、本当に、心を込めて、そういう作業をしてくれる。ここでは、設備の古さとか、築年数がどうだとかということは、あまり関係がない

・というか、恐らくそうした素晴らしい銭湯のスタッフの方々って、それらを作業と考えておらず、「自分がこのお風呂に入るとしたらどんな気持ちだろうか」「どんなお風呂だったら気持ちが良いだろうか」ということを楽しく想像してくれているように感じるんですね。実際のところどうだかは知らないですよ

・で、まあ私みたいな30近いおじさんが、銭湯に通ってこんなことをつらつら考えましたなんて話をしたいわけではなくてですね、この話を少しだけ抽象度を上げてみたいんです。人に対して何かモノやサービスを有償で提供する、つまり事業を営むときに、結局はそこで働く人がどんな人かが大事なんですね、という話を、まずはしたい。というか、しました。

・これ自体はよくある話だと思うんですよ。で、今日はこの先に行きたい

・少し嫌な言い方になりますが、この資本主義社会においては、「人の善さ」そのものがビジネスになり得ます。今年の夏にまとめた、「知の技法入門」の記事を振り返ってみてください。資本主義は、意味をとにかく微分することで持続している社会ですから、「人の善さ」もその対象たり得る。ちなみに下記の記事で、「よく分からない」としてメンションした、「現実の構造をディスコンラクトしながらイノベーションし、それを変容させる」行為の最先端がデザインやアートという主張、いまなら少し分かる気がする

 

dshio3721.hatenadiary.com

・で、これも陳腐な主張かもしれませんが、資本主義社会のトップスターとして、現代社会の神話的企業、つまりGAFAMを思い浮かべてみてください。これらの企業のリーダーたちが、人間そのものとしてアイコニックな存在になっていることにお気づきですか?

・アップルのジョブス、Amazonのベゾス、MicrosoftゲイツFacebookザッカーバーグGoogleのラリーペイジとセルゲイブリン。それ以外でも、テスラのイーロン=マスクなんかもすぐ思いつきますよね

・これらの人たちは、程度の差こそあれ、この人達が持っている志向、つまりパーソナリティに極めて近いものを、世の中に役立てるためにどうしたらいいかというフレームワークに当てはめることで、革新的なモノやサービスが創り出されたんじゃないかと思うんですよ。ジョブスのiPhone、そのデザイン性なんかは最たる例ですよね

・上の話と結びつきました?つまり、街中の銭湯だろうが、世界の「ビッグファイブ」だろうが、資本主義社会における事業の成功にはそこで働く人の志向、もっと言うと人の「善さ」みたいなものが欠かせないということなんです

・今日はもう一歩先に行かせてください。この発見を踏まえたうえで、じゃあ自分はどうするんじゃと言う話です

・このブログでこんなことを書くのは初めてかもしれませんが、実はぼく自身の「人の善さ」は、並外れている/他の追随を許さないと、自信を持って言えます。この視点で、もう一度自分のことを見つめなおしてみようと思うんですよ。

・つまり、自分の「人の善さ」というのは、本質的にはどこにあるのか。プラス、それをどう世の中に役立てていけるのか、と言う視点で自分を見つめ直せば、必ず世の中に響くモノやサービスを創り出せると確信しているんです

・今年、残り一か月は、これに取り組んでみようと思っています。で、このブログと並行して、何かしらのアウトプットを出してみたい。