日記447

・去年の10月のECB会合で、ラガルド議長が「the ECB discussed only three things today: inflation, inflation and inflation. 」と話していた記憶がありますが、それになぞらえれば、最近の自分の生活は「フランス語、フランス語、そしてフランス語」といった感じです

www.reuters.com

・いや、さすがに仕事をしながらなんで、「フランス語漬け」と言えるほどでもないんですけど、まあ日々のレッスンの宿題や復習をこなしていくと、どうしても空き時間のほとんどをフランス語に費やすことになる

・本当はもっと、徹底的にやった方がいい気もしてるんですけどね。つまり、自分の頭の中の考えごとが全てフランス語になるくらい、耳から入ってくるもの、目から入ってくるものを全てフランス語に変える努力をするとかね。いきなりそれをやると体調崩すので避けてたんですけど、今後はできるかもしれない。

・なぜなら、少なくとも、ほぼ3か月間、「かならず毎日1.5~2時間フランス語の勉強をする」というマンデートを達成し続けているので。そうした習慣の上に少しずつ上乗せする形で、さらにフランス語に触れる機会を増やしていくというのは不可能ではない。なんでも続けるって言うことが大事なんですねという当たり前の話をしています

・そういう意味では、もうキャリアのこととかを考えるのは諦めました。これは、未来永劫諦めるとかそういう意味ではなくて、少なくともフランス語のレベルが一定以上に行くまでは、あらゆる意味でキャリアのことを考えても仕方ないから。ということに加えて、結局、未来は現在のグラデーションの先でしかないということを身をもって知ってしまった今、一足飛びにキャリアのことを考える/デザインすることの意味がよく分からなくなってきているんですね

・これに関連して、まさにこれを書いているいま、以下のような実感が自分の中に芽生えつつあります。ぼくは大学時代まで、自分の将来がどうなるかなんてはっきりと分かっていませんでした。新卒で企業に就職をして、なんとなくの方向性が見えたような気がしていたけれど、それもまたまやかしであって、実は自分の将来に関する方向性なんて、自分の人生のどこを切り取ってみても、実はまったく分からないものなんじゃないか、という実感です

・そして自分の将来を分かろうとすると、そこには一定の、なんというか、無理が生じる。いつまでも自分が根無し草のような不安が嫌で、将来のことを何とか考えてみようとするけれど、気持ち悪さだけが残ることになる。

・で、その気持ち悪さから逃れるために、自分のキャリアデザインとかをやってみて、考え抜い(たつもりになっ)てみると、何となく暫定的な答えのようなものが見つかることがあって、それで安心してしまうんですね。それが自分の場合は、新卒の就職だった

・ところがそれも仮初の安寧で、結局人間は自分の将来に確信が持てることなんて一つもない。ここにもう一つ別のファクターが出てくるんですけど、それは年齢です。歳を重ねてくると、いつまでも「自分の将来はよく分かりません」と言えなくなってくるんですね。なんか、例えば40歳くらいのおじさんが、「自分の将来はよく分かりません」って言ってたら、ちょっとキモいと思われるじゃないですか、普通は

・でも本当は、40歳だろうが80歳だろうが、自分の将来は分からないんですよ。そしてそれを認め続けるべきなんです、きっと。明日の自分は、1秒後の自分は、分からないんです。安定した老後とか、安定した中年時代とか、そんなものはいつの時代だってあり得ない。別に不安定な世の中に備えろとか、不確実性の時代がどうだとか、そんなことを言いたいんじゃありません。いつの世であっても、1秒後はまったくの不明、そしてそれを認め続ける素直さ、大胆さ、大らかさ、寛容さを持ち続けようという話です。

・自分の将来は、よく分からないんです。キャリアデザインも結構ですが、そんなことで自分の可能性を狭めてしまうくらいだったら、やらない方がいい。資本主義、競争激化の世の中で、そんな甘いことを言っていると割を食うぞというご高説はもっともらしいですが、資本主義の本質は「投企」です。「意味」で閉じたクッションから、こぼれ落ちるものにお金が集まってくる仕組みなんです

・自分は何を言っているのか。クソ長くなってきましたが、あえてエントリーを変えずに書き続けます。

・去年の夏ごろに書いたエントリーを思い出していただきたいのですが、資本主義の本質に関して、「知の技法」で考察されていた箇所がありました。大澤が、「市場ではスタティックな均衡が成り立たず、均衡は新規参入者やイノベーションを受けて常に崩れ、発散し、次の均衡点へと収束する」という表現を使うことにより、「資本主義はディコンストラクトそのものである」という小林の主張を補強していた箇所です。

 

dshio3721.hatenadiary.com

・これを読んで自分が思い描いたのは、成長曲線の微分でした。ディスコンラクトというのは、次元を下げることそのものです。

・自分の将来、個人の将来を成長線を使って表現してみようとすると、それはたぶん曲線を描きます。全体として右上がりかどうかは別として、曲線なので、傾きは一定しません。どの時点で傾きを取るかによって、係数は変わってきます

・資本主義は、この傾きに対して投資を行うという営みです。ある時点では傾きが大きかったものに対して、思い切ってベットして投資を行う。投資される自分の側から考えると、自分のキャリアをデザインするというのは、この傾きを一定のものに固定するよう試みるという営みです。一定の、かつ、なるべく右上がりの傾きに固定することを試み、それを他者にアピールすることで、なるべく多くの資金を集めようという営みです

・ところが、市場では、絶対にスタティックな均衡というものが成り立たない。曲線そのものが大きくシフトしたりカーブを変えたり、変数を変えたりするんです。ある時点で魅力的だった微分係数は、時間の流れとともに、大きく値を変えることになる。相対価値も変わるでしょう。

・そうは言っても現時点で入手可能な情報を基に、最善の微分係数を出す努力をするのが誠実で、現実的だと、キャリアプランナーは言うでしょう。そこをのっけから否定する、揺さぶりをかけていくのが、自分の仕事であるような気がしてきた。その仕事というのは、自分の創造性を信じるということ、自分自身を信じるということです

キャリアプランナーたちは、社会における価値を信じています。社会で、現時点で信奉されている価値観を何よりも大事にしているわけです。それをもって、まさに現時点で入手可能な情報として、微分係数が大きいものとそうでないものとを峻別しているわけです。そこには、自分の価値判断は入っていない。社会が大事だというものを大事にしているわけですから、自分が何を美しいと感じ、自分にとって何が微分係数の大きいものなのかを考えることを放棄している

・したがって、社会における価値が変わっていくと、微分係数の調整に苦しむことになる。もちろん、社会における価値というものはグラニュアルにしか変わっていきませんから、あまり大きな心配をする必要もないわけですが、いつまで経っても自分自身を顧みることはありません

・この状況に対して、ぼくは揺さぶりをかけていきたいんですね。人々の心に対して、本当に美しいもの、光り輝くもの、今は社会から軽視されているけど、これってみんな心の奥底では美しいと思ってるよね、そういう訴えを続けていきたいんです

・今回のエントリーはここでおしまいです。何を言っているのか、今は分からなくて大丈夫です。