日記403

・最近、日記を書かなかったからメンタルが若干不安定なのか、メンタルが不安定だから日記が書けなくなっているのか、よく分からなくなってきた

・どちらでもないという話もある。単純に、自分が5月初に立てた計画を粛々とこなしていくと、日記を書いてる暇がないんですよね

・ただし、6月入り後は、ここ最近の記事にも書いている通り、そもそも何に対してもやる気の出ない日というものそれなりにあって、うん。居合のお稽古に行くことによって人間の形を保っているような側面もある。

・そもそも、わたし、自分に対するハードルが高すぎるんですかね?

・「やや高い」くらいでしょうね。常に、今の自分よりも良い自分に明日はなっていたいという、そういう無意識の願望があって、それが自分の精神の休息を妨げている、と書くとカッコつけすぎている気もするけど、実際そうなんだもん

・まあ、そんなわけで今日も今日とて勉強するんですけど、今期のお勉強のテーマであります「資本主義の限界」について、まずは現行の先進国のグリーン政策でも調べるところからスタートしようかしらと思っていたところ、既に失望モードに入りつつある

・つまり、グリーンニューディールやら何やら、先進国が(リーマン後の雇用創出の意味合いも半分以上込めて)音頭を取ってきた公共政策って、やっぱり資本主義社会の中ではコシの弱いものにならざるを得ないし、実際トランプ政権のもとでおっ潰れたし、たとえ今後、米民主党政権下で復活したとしても、あんまり強烈に推進されるものにならないんじゃないかと思うんですよ。

・さらに、今後は欧州主導でこの辺の政策が進んでいくんでしょうけど、彼の国の人たちって、大陸哲学よろしく、「べき論」を語るのに非常に長けてるんですけど、それをどう、実利に落とし込んでゆくのかっていう議論が未成熟なまま走ってゆく気がするんですよね。実利と申し上げた時点で、現行のグリーン政策も資本主義の軛のもとでしか推進され得ないということを前提でお話してるんですが

・あのー、最近、「信長のシェフ」を読んでいて、いまさらながら”にほんのれきし”に興味を持ち始めてるんですけど、そうしたものを読んで、いわゆる資本主義以前の経済/社会を眺めた気になって見ると、やっぱりいつの世も人は、自分の利になることでしか動かないんだなと思うわけですよ。4分の3まで読んだのに読み終えるタイミングを絶妙に失いかけている「三国志」とかもそうですけど、結局人は、自分の財産や権益、将来の安泰を守ることにしか突き動かされないのですよ。

・「フランクリン自伝」もそうですよ。あの人だって、自分を含めた共同体に利する仕組みを追い求めた結果、アメリカという国のお父さん的存在になってしまったわけですからね。

・そうすると、僕がぼんやり実感している資本主義というのは、なんというか超商業主義、功利主義の親玉みたいなものですから、いくら「ぼくのさいきょうのぐりーんせいさく」を欧米人が唱えたところで、人類の利の追求に最適であると気づかれてしまった資本主義というシステムが強固に生き続ける限り、グリーン政策も資本主義の傀儡であり続けるという直観があるんです

・そうした中で、矮小化されたグリーン政策というものがどこまで/どんな発展を遂げるかということを見届けると同時に、やっぱり「資本主義」というシステムが今生生き続けるものであるかどうかも、常に横目に見ておく必要があるんだと思います。

・そして、いつの世も、何か支配的であったイデオロギー(政権、とかでもいいですよ)が崩れるときには、その弱点によって滅びるのではなく、善いと思われていた点が加速的に増大することによって滅びる、という逆説の経験則も、頭の中で直観しています。資本主義の場合、例えばその弱点が何かというと、一つは格差でしょう。今もコロナ後のK字回復やらなにやらが話題になっていますが、そうしたものが声高に叫ばれるうちは、資本主義が崩れることはありません。

・えー。そうすると、資本主義の善い点ってなんですか?僕も今から考えます。一つは、「最適化」の概念を持ち込んだことにあると思ってるんですけど、あんまり本質的ではないな

・そうなると、やっぱり、資本主義の成り立ちとか、そういうものから調べてゆく必要がありますよね。がんばるぞ