日記384

・別に取り立てて言うようなことではないんですけど、人生って虚しいものですね

・急に虚しさが込み上げてきてしまっている。平日の夜にこんな気持ちになってしまって一体どうしようというんですか

・人生で得るものって何があるんですか?得るものがないからなんだということでもないんですけど…

・唐突ではありますが、既存の価値観のバグリスト作りからいきましょう。ぼくがもっとも唾棄すべきと思っている考え方に、「人生、時間だけは誰もがみな平等に与えられた資産である云々」というものがあります

・要は、時間は一日24時間、皆に等しく与えられているのだから、これを有効活用して豊かな人生にしましょうという考えです

・これは嘘です。まず、時間は誰にでも与えられた平等な資産などでは毛頭ない。寿命というものが人によって違う限り、時間は平等ではありえないということは自明です。今この瞬間にも、突発的な事故で命を奪われている人すらいる。

・そうは言っても24時間という尺度は同じじゃないかという詭弁は控えて下さい。そうした言説が自ら認める通り、24時間というのは人間が人間の外側に創り出した尺度であって、人によって時間の長さ及びその感じ方が異なるということを認めましょう。

・同じ人ですら、環境や精神状態によって、時間というものの捉え方は異なるんです。もしも、今から24時間、意識が混濁する薬を飲まされて、24時間後に「君には24時間という時間が与えられていたのにどうして自由に使わなかったんだ」と聞かれたら腹が立つでしょう

・次に、こうした言説を煮詰めた結果出てくる、「時間を有効活用してより多くの評価、財産、実績を築こう」という言説。愚の骨頂です。

・肉体の寿命さえ終われば、今生で築き上げたものなど全て無に帰します。何かを手に入れた気になって、それがどうなるというんですか?いえ、もっと言えば、何かを手に入れる、築き上げるなどということそのものが、都合の良い幻想であって、この虚しい一生を何とか生き延びるためのささやかな慰めでしかありません。

・それが慰めに収まるものならば、まだよいでしょう。一人の人間が、心安らかに生きていくことができるという希望を与えてくれるものですから。そうではなくて、こうした言説のもとで囁かれる実績主義、成果主義というものは、もっと醜く目も当てられないものです

・人間は得てして、自分の評価/社会的地位/実績のために、他者を出し抜き、蹴落とし、傷つけることも厭いません。時にはそれを隠蔽したり、都合よくお化粧したり、ということすら平気でやってのける。そうなれば、それは到底、一個人の慰めのために許されるべきことではありえない

・だとすれば、このささやかな慰め、自己満足のために、どうしてあくせくと働いたり、働くようなふりをし続けなければならないのでしょうか。そうした醜い手続きの末に手に入れたと思い込むものですら、百年とたたず全て塵となって消えゆくものだと分かっているのに!

・そうは言っても評価/功績は後世に残る、つまり、ゴッホは死後よく評価された、みたいな付け焼刃の知識を振りかざさないでください。それがゴッホにとってなんだというのですか?

・最後に、そうした実績主義を全て諦めて、①刹那的、ないしは②禁欲的に生きるやり方をも、ぼくは否定したいのです。①については、あまりにも意味のない営みなので説明する気も起きませんが、②についてはやや曲者でしょう。「人生は虚しいかもしれないけれど、愛があれば大丈夫、貧乏でも構わない」というものです。

・愛なんてものがどこにあるのでしょうか。どこにもないのです。少なくとも人間の理性が直観できる範囲では、愛の証なんてどこにもないんです。誰もその存在を証明していないんです。誰かを愛することなんて、そもそも欺瞞なんです。脳内の化学物質が創り出したまやかしです。

・ただし、ただし。誰かを愛していると錯覚している自分、その存在だけは疑いようがありません。デカルトです。

・だから、今日も明日も、自分がいる、そのことだけを考えて生きていくしかないんです。他のことは全部嘘です。騙されないでください。甘えないでください。善く生きようなんて思わないでください。

・ということで、虚しいんです。何かに向かって頑張ることは全て無意味で、この世界には自分だけしかいないんですから。虚しいけれど、この寿命が尽きるまでは、それを認めて生きていくしかない