日記375

・昨日、上野の都美術館に行ってきました。吉田博の版画展。

・渓流なんかの水の表現が見事でした。それは特に、空間の把握と再現に優れているからだと思います。画面の奥から水が流れてきて、手前の段差で一気に水が流れ落ちるみたいな表現がよくあるんですけど、その勢いの付き方がとってもリアルなんですね。画面構成の観点からも、とってもテンポが良くて目が離せません。その辺は、空間上の構図を把握して再現する能力に優れていないと、なかなか表現できないものだと思います。

・んで、それはそれとして。本来の予定とは異なるんですけど、小説を書きたくなってきてしまった

・本格的に書き始めるのは4月以降でいいんですけど、アイデアをいくつか、ちょこちょこ練り始めたいなと思ってしまった。

・というのも、多分、本業のリサーチの方が若干行き詰っているからですね。どの部分で、どうして行き詰ってしまっているのかについて考える、それも含めてやっていくのか今年の「リサーチ」なので、行き詰まること自体は想定の範囲内というか、予定調和というか、予定通りというか、なんですけどね。実際行き詰まると、お気持ち的にはつらいよねというお話

・去年一年間、ブログを書き続けたのは、まあ自分の外に何かしらの「成果・実績」を残すという意味でも有用だったんですけど、何かを書くことで、自分でも気が付かなかったストレスを発散できていたのかもしれない。

・あとあれですね、万城目学の「鴨川ホルモー」を読んだら、青春小説の魅力にすっかりあてられてしまって、それで小説への情熱が再燃したというのもあります。

・んで、小説のアイデアを考える前に、ぼちぼちリサーチの反省をやっていきますか。何が今、問題なんでしょうか

・と、書いておいて何なんですけど、リサーチそのものという意味では、実はあまり問題はないんですよ。去年からこのブログで喚きたてている通り、「独学大全」のメソドロジーに沿う形で、着々と作業は進められている。この辺は、例年というか、これまでの自分の人生において、もっとも計画的に、芯を持って調査活動を進められていると言っても過言ではない。

・そうした中で何が不安かと言えば、アウトプットの形にイメージをつけられていないことですかね。つまり、自分がリサーチした内容を、例えば対外的に公表することをイメージしたときに、それが具体的にどんな形なのか、ないしは、どんな形になっているべきか、についての考えが足りていない。

・いや、本来的にはおかしな話なんですよ、これは。だって、例えば「独学大全」で述べられていることって、純粋な自分の知的好奇心を満たすため/それを体系立てた知識として自分の中にストックするための調査の仕方であって、対外的なアウトプットの仕方ではないんですから。

・ああ、「独学大全」では明示的に触れられてはいませんが、著者である読書猿氏のブログを読んでいくと、学術論文の書き方、まとめ方についての氏の知見にまつわる記事は散見されます。そういう意味では、対外公表物として、ひとまずは学術論文をイメージすればいいのかもしれないけど。

・ただ、悩ましいのは、ぼくはいわゆるアカデミアの人間ではないし、その一員となることを目指す人間でもありません。そういう人間が、アカデミックなペーパーを書くことを最終ゴールとすると、必ずコンフリクトが生まれるんです。何が言いたいかというと、ただのサラリーマンが学術論文を書いて何の意味があるんですか、ってことです。

・何というか、サラリーマンの中にも、さまざまなバックグラウンドのもとで、アカデミックスキルの突出している人間が少なからずいる、ということは知っています。そういう人は、ビジネスをこなしながら、ないしはビジネスのプロセスを上手に昇華する形で、優れたペーパーを書く能力を持っています。

・ところが一介のサラリーマンたる自分には、とてもそんな能力がないというところが悩ましいんですね。

・こういう時に、ぼくには一つの信条ともいうべきフレーズがあります。それは「不争」、何事にも逆らわず、誰とも争わず、それでいて自分の信念を通す、という信条です。

・この場合、「才能/能力のない自分」と争うことなく問題を解決していくことを目指します。だって、今の時点で何の才能/能力がないことは、しょうがないんですもん。ないものはない、あるものはある。ゆるぎないその現状と、争っちゃいけないんです。

・さて、手元の道具箱を開けましょう。こういう時に有用な方法がいくつかあることを知っています。まず使えそうなのは、ゴールを変える/再定義(リフレーミング)することです。

・今は、自分でも知らない間に、「対外公表物を(アカデミックペーパーのような形で)アウトプットする」ことをゴールとしてしまっています。それはいったい、本質的には何を指すのでしょうか

・言わずもがな、社会におけるビジネス上の実績作りですよ、これは。身も蓋もないですけど、ペーパーを書いて出すっていうのは実績としてすごくわかりやすいですからね。文章として残るものは、大げさに言えば一生残りますし、誰からも参照可能という意味で、自分のビジネスチャンスを拡げてくれるものです。

・ああ、だから小説も書きたいんでしょうね。自分にはこんな能力があるっていう披歴の場所として、アカデミックペーパーや小説を求めている。浅ましい限りですけど、事実だからしょうがないし、こういう浅ましい思考、「実績志向」とでも呼びましょうか、これを持っていたからこそ、ここまで社会人をやってこれたというお気持ちもある

・んで、この視点で、今抱えている問題をリフレーミングできないでしょうか。まず、実績の観点では、必ずしもペーパーを出すことにフォーカスを当てる必要がないんではないでしょうか。そもそも、ペーパーを書くことにフォーカスしすぎて、他の仕事がおろそかになっていないでしょうか。

・それだけはなくて、まずは実績としてのペーパーの落としどころを探るのではなく、今、何を知るべきか、というところにフォーカスして、少しずつ、必要な事実を積み重ねていく方が重要ではないでしょうか。

・もっと言うと、アウトプットの仕方を考えるのは「平のサラリーマン」たる自分の役割ではない、ということも意識すべきです。対外的な情報発信は、自分の責任の範疇外です。まずは「平のサラリーマン」として、どんな文脈でどんな事実を整理していくか、ということにのみ集中しましょう。

・小説は違いますけどね。表現の仕方も含めて、自己表現の営みですから、全てにおいて自分の責任、発表する小説が自分そのものです。

・リサーチに話を戻すと、対外公表に関する意識づけは上述の通りに改めるとして、どんな方向に調査を深化させていくかについては、ある程度は自分で、自分や自分の部署/会社の果たすべき社会的役割に鑑みながら、判断していくべきものでしょう。

・さて、ここまでの考えを整理しましょう。結局のところ、「何を明らかにすべきか」というべき論に基づくと、「何を明らかにしたいか」という欲求に基づく調査が、食い違ってしまうことを恐れていたわけですよね。

・この二者が、必ずしも矛盾しないということが分かればいいんです。つまり、自分が社会や会社組織の構成員である以上、自分が思う「これを知りたい」という気持ちの対象たる事実事項は、社会的役割のコンテクストから「これを明らかにすべきだ」という事実事項と同一のものである可能性が高いでしょう、ということです。

・自分の経験上、これはある程度、納得感のある主張です。

・ということで、「何を明らかにすべきか」というべき論だけにとらわれて委縮することなく、自分が何を知りたいか、という気持ちを大事にしながら事実を積み上げていきましょう。

・書くことで気持ちに整理がついた、よかったね。ブログの効能ですよ