日記252

・自分がどうなりたいかなんて、マジでわからん

・最近、というか、2年くらい前からなんですけど、夜寝る前にスマホの音声レコーダーに向かって、その日考えたことをしゃべってるんですよ。それだけ書くと、まじでヤバい奴みたいですけど、事実そうなんです

・最近、冒頭のような疑問について、ずっと考えている。というか、これまでの人生の大半、この疑問に悩まされ続けてきて、ここにきて本気で、これについて考える必要があると感じている。ので、録音の内容も、必然そういうことになっている。

・いくつかのアプローチで考えました。まず、逆説的に、自分の嫌いなものについて考えました。これには以下のような理由があります。

・人が何かを嫌うとき、例えば何かの悪口を言うとき、そこには憧れが隠されていることが多いからです。

・めちゃくちゃ卑近な例でいくと、例えば女性が自分の配偶者について、「毎晩飲み歩いてばかりで許せない」と愚痴を言う。または、飲み屋でサラリーマンが、政治家をこき下ろす。

・前者は、心の中で、「自分は遊びたいのを我慢しているのに」という枕詞がつきます。だから自分もそうなりたいのに、なれないから愚痴を言う。後者も、政治家が既得権益で甘い汁を吸っている的な、わかりやすい妄想を基に、「自分もそうなりたい」という根底の欲望をごまかすために悪口を言う

・んで、まあ、この説が心理学的に、ないしは何某かのアカデミックな議論として、正しいかどうかは知りませんが、少なくともぼくは経験的に納得しているというところから話を始めるとして、じゃあ自分は何の悪口をいうことが多いだろうと考えたわけです

・一つは、アカデミズムの排他的側面。アカデミズムの世界と言うのは、人類の叡智の結集という素晴らしい世界であるとともに、その専門性からどうしても、門外漢を寄せ付けないような、排他的かつ序列的な閉鎖空間になりやすいと思うんです。

・その息苦しさについて不満に思うことが多い。ジャーゴンの飛び交うマウンティング、みたいな世界観に、嫌悪すら覚えます

・ということで、ここで話をひっくり返すと、自分はたぶん、そういう世界の住人になることに憧れているんです。うげ

・あとは政治の世界ですね。ここに対する嫌悪感についてはまた別の機会に書くとして、政治って要は調整の世界じゃないですか。あちらを立てればこちらが立たず的な。そのバランス感に息をひそめる営みが、どうしても非建設的/不健康に見えて嫌いなんです