日記381

林達夫久野収の「思想のドラマトゥルギー」を読み終えました。本書に触発されて読もうと決断した本もいくつかあります。デカルトの「方法序説」、サルトルの「嘔吐」。

・ほかにも興味をそそる本、人、分野がいくつも登場したので、本書をスタート地点に、色んな分野を渉猟するのも楽しいかもしれない。そのために本書を再読して、読書リストを作ろうかしら

・と同時に、自分の研究、特に動物園研究をもう一度始めたいという気持ちにもなりましたね。

・正確には、別に動物園でなくてもいいんですけど、なにかについて考えたり調べたりした形跡を、何かしらの形で残しておきたい。それも体系だった、自分に合ったやり方で、残したいと思うんです。それは必ずしも、現代のアカデミアにおける主流のやり方と、そぐうものでなくてもいいんですよ

・そういう意味で、自分の生理とか、直観というものについて考え直すきっかけとなる本ですね

・と同時に、人文科学や思想、文芸の分野で、大家と言って差し支えない人、現代日本においてはまあ出てこないですねということも感じました。

・います?そんな人。

・真面目な話、平成と言う時代を30年余こなしてみて、そう呼べる人がどれだけ出てきたでしょうか。自分の不勉強のせいもあるかもしれないですけど、日本においては人文科学、思想、文芸といったものは廃れていく一方だと思いませんか。

・あのー、世界レベルで見て「優秀な人」は増えたと思いますよ。ビジネス界でも、学界でも。日本の教育水準も上がって、世界の学問の門戸も幅広くなって、最近じゃ海外大学で修士取った人が隣の席で働いてても、あんまり驚かれませんよね。

・少し話はそれますが、日本人のノーベル文学賞受賞者は何人ですかと聞かれたら、ぼくは2.5人だと答えると思うんです。すなわち、川端、大江、そしてカズオイシグロですが、最後者は生まれこそ日本ではあるものの、文化的刺激のほとんどを英国で受けているはずですから、日本人作家とは呼べないはずです

・となると、大江のノーベル文学賞受賞は1994年ですから、まるまる30年近く、世界レベル(という雑な括りで申し訳ないけど)の日本人作家というのは生まれていないことになる。W村上がいるだろうとファンに叩きのめされそうですけど。

・何が言いたいかというと、文芸にとどまらず、「人間」というものを深く見つめて描くべき、科学/思想といったものが、現代日本で衰弱しつつあるということなんです

・また少し話がそれますが、動物園関連の調べものをしていた時に、広井辰太郎という人物のことを調べたことがあります。明治期の日本において、動物保護のあり方なんかを論じた人なんですけど、どうしてそれが分かるかというと、当時の雑誌に論陣を張ってる記録が残っているからなんですね。

・そうした記事を拾い上げてゆくと、当時の論客達と彼が、(厳密な意味でのロジックという観点で色々と突っこみどころはあるものの)いかに自分の論を張り、それを根拠立て、説得的に論を展開していったか、という、大らか、かつ実証主義的なやり取りが浮かび上がってくるんです

・今の日本において、そうしたことをできる人がどれだけいるでしょうか。必ずしもアカデミックな意味に限定せず、もちろんビジネスの文脈でもなく、鍛え上げられた自分の思想を持っている人というのがどれだけいるでしょうか

・昔は、少なくとも昭和初期から中期にかけては、そういう在野の思想家というものがごろごろいたはずなんです。そういう意味で、日本人の知識水準と言うのは、高まってはいてもどんどん貧弱になっているんでしょうね

金融政策ゆがめる2%物価目標 門間一夫氏: 日本経済新聞

・唐突に日経のリンクを貼りますけど、例えば日本の政治思想についても同様のことが言えると思ったんですよ。まさに氏が最後段で触れているように、マクロ経済政策の一つである金融政策に関して、日本発の骨太な政治思想が、日本のアカデミアから出てくる気配すらないんです。

・なぜ土曜からこんなにプリプリしているんだ、おれは