日記82

・今日は、すげー大事なことを書いた気がする

・ブレンダ=ウェランドの文章術の本を読みました、というところから話は始まります。1938年の全米ベストセラーらしいですね。書くことで人は自由になるし、それを誰にも妨げさせてはいけないっつーことですけど、それ以上に、書く時には自分に嘘をついてはいけないっていうのが意外と難しいんだよね、という感想を持ちました

・文章を読む人は嘘に敏感です。もちろん、小説やなんかはフィクションそのものなわけですけど、そこに嘘があると、読者にはたちまちばれてしまう

・で、嘘の典型っていうのは、カッコつけることだと思うんです。小説を書くときに、いかにも文学っぽい文章を書いてしまう、それっぽいテーマを選んでしまう

・これ、自分に引き付けて考えると結構厳しくて、ぼくは嘘をつかないように努めてはいますけど、それでもルッキズムに対する根源的な恐怖が常にあるからです

・どういうことか。ちゃんと書きましょう。もはやこれは、自分の生き方の話です

・自分はとんでもない田舎に生まれて、都会的なことはほとんど知らずに、のびのびと育ちました。成長するにつれて、だんだんと都会に出てきて、最終的に東京にたどり着いたわけですけど、田舎との大きな違いとして無意識に感じていたのは、人が人を表面上の情報で判断するプロセスでした

・それは見た目であり、学歴であり、職業とそれに紐づく年収であり、テストのスコアであり、ビジネススキルであり、親の勤め先であり、実家の場所であり、恋人の有無であり、ファッションであり、etc。

・要は「シグナリング」という単語に尽きるわけですけど、田舎と比べて都会には遥かに多くの人間がいるわけですから、表面上に現れている情報で人間を判断することで効率よく生きていかないと、社会生活がうまくいかないんです

・そうした、人間を表面的なことで判断する意識のことをぼくは「ルッキズム」と呼びますが、そうしたルッキズムの嵐の中にあっても、自分は何とか、表面上の体裁を保って生きてきました。自惚れでなく、むしろ反省を込めて書きますけど、社会的体裁を整えることについては、ある程度成功した部類だと言っていい。自分の努力でそうできた部分もあるし、運に恵まれていた部分も大きかった

・こうした息苦しい生き方が続いた結果、知らず知らずのうちに、ぼくの思考の一部はやや歪んでしまったかもしれません。つまり、自分で努力するなり何なりして、常に表面上の体裁を保っていないと、誰からも認めてもらえない、愛してもらえないのではないかという恐怖に苛まれるようになったんです。こないだの、センスの記事にもそれが表れてます

・と同時に、自分の体裁というかメッキを保つことも、だんだんとしんどくなってきた。自分を守る鎧が脆いことを知りながら、より分厚い鎧を着ることに限界を感じ始めてしまっています。めちゃくちゃ生きにくい

・まだ若い(と自分では思っている)ので、ルッキズムに屈したくはない、まだおれはやれると思う一方で、ルッキズムに打ち克って社会的評価を得たいという積極的な気持ちがだんだんと薄れてきてしまっている。というか、もともとそんなお気持ちは持ち合わせてなかったんですけど、いつのまにか勝手に背負いこんだそうしたお気持ちに、自分で負けそうになっている

ルッキズムの呪縛から逃れるのは、正直難しいです。社会の中で生きていくからには、程度の違いはあれど、ルッキズム、ステータスと言ってもいいですけど、そうしたものとお付き合いせざるを得ないからです

・今これだけ必死になって、自分の好きなことを徹底してやる、自然体でいることにこだわろうとしていますけど、その一方で、ルッキズムと完全に縁を切ることができないことを分かっています。

・こういう時、一見簡単そうな選択肢として挙がってくるのは、「自分の好きなことをやって社会的評価を得る」という発想でして、まあ今ならYoutuberとかですか、それに成功している人も一定数いるわけです。Youtuberじゃなくても、昔から芸術家と言われる人たちは、何となく余裕をもって社会を高みから見下ろしつつ、社会的評価も得て、多くの報酬を得ている人たちのようなイメージを抱かれているわけです。実際のところどうかは知らん

・こうした生きにくさの問題については、最近の日本であれば中島義道とか、そのあたりの哲学者が既にたくさん思考してくれていますので、その辺の著書を読めばとても洗練された論点が提示されていることがお分かりになると思います。これとか面白いっすよ

https://www.amazon.co.jp/%E5%83%8D%E3%81%8F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%81%AA%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E6%9C%AC-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%AD%E5%B3%B6-%E7%BE%A9%E9%81%93/dp/4101467234

・この辺のことを考えてわかるのは、まあ「自分の好きなことをやっても社会的評価を得られるとは限らないよね」という、当たり前の結論です

・で、じゃあどうしたらいいんじゃいと聞かれると、最初に戻りますけど、自分という人間ときっちり向き合うトレーニングを積むことで、自分の気持ちに嘘をつかないようにできるようになるしかないんじゃないですか

・多くの人は自分に嘘をつくことに慣れきってしまっているんじゃないかと思うんですよ。自分の気持ちを深く掘り下げて考える、自分の声を丁寧に汲み取る時間や労力を惜しんでいるから、何となく自分が好きそうなことを見つけるとそこに変に固執して、本当の気持ちを無視しようとする。短期的には効率がいいですけど、それで一生やっていけるかって言われたら、疑問が生じてしまう

・人生には、こうして生じた疑問を一時的に麻痺させてしまう娯楽や気晴らし、カジュアルな信仰があまりに多いんです。人間、悩むのは好きじゃないので、大抵こうした娯楽に飛びついてしまい、問題は一生解決しない。そうした人の目はどんどん濁っていきます

・あー書きながらだんだん分かってきた。自分が空手を好きな理由もここにある。空手をやっていると、とことん自分と向き合わざるを得ないからだ

・同じことが、このブログを書き続けている理由としても言えます。書くことは自分と向き合うことなので。書き続けることで、ぼくは自分自身を愛そうと必死に頑張っているんですね。愛は努力なので…。

・ぼくもこのブログを通じて、あれが好きこれが好きといってますけど、その本質が何なのか、きちんと時間を取って考える必要があります

・このことに、三連休の最初に気づくべきだった

・まだ遅くない

・うふ