日記407

・わっはっは

・しばらく日記を書かなかったですね。この間にも当然、人生を生きていたので、色々と書きたいことが溜まっている

・ごく最近、千葉雅也の著作、一般書ですけど、を乱読しています。ひとまずそのことだけ書いておきましょう

・「勉強の哲学」とか、「メイキング・オブ・勉強の哲学」とかを読んだわけですけど、気に入ったコンセプトとして”有限性”というのが挙げられます。この語の用法を、すごく縮小的に理解すれば、「どうせ人間、あらゆること/究極に突き詰めたことを勉強するなんて無理なんだから、あえて範囲や時間を区切って勉強する意識が大事ですよ」的なことを説いているわけです。

・で、ふと思ったことですけど、このブログも有限性の塊なんですよ。というか、箇条書きがそう。点を打つことによって、無意識に、一つのパラグラフに一つのメッセージだけを書こうとするし、とりあえず考えたことを書き留めておこうという意識づけにもつながって、ブログを継続することにも資する

・いやお前、一か月近くブログ書かなかったやんけ、ということはいったん置いておいてですね。

・千葉雅也の話を繋げるなら、直前のパラグラフはいわゆる「ツッコミ」(セルフツッコミ)に当たるわけですけど、これは彼がドゥルーズ研究の中で言及している、「イロニー」と対応しているわけですね。それをちゃんと厳密に理解するとどういうことになるのかなと思って、準専門書と言える「動きすぎてはいけない」(千葉雅也の博士論文の改稿です)に目を通しましたが、目を通しただけで終わりました

・勉強の中で、上記の「ツッコミ」がどう機能するかというと、ざっくり言えば問いを深化することにつながるわけですね。イメージで言えば、垂直方向に、自分の問題意識を拡げるということです。

・ところが、勉強は、ツッコミ=イロニーだけでは終わりません。文字通り、際限がないから終わらないんです。○○が分からない、というときに、△△とはそもそも何だろう、と勉強を深めていくと、際限がなくなる、というようなことをイメージしてください。「それを聞いちゃあおしまいよ」というような問いは、際限なく発することができる。これは、脱コード化という概念とも重なる部分があると思います

・そこで、勉強においては「ボケ」=ユーモアの要素も大事になってきます。「それを聞いて何になるのよ」という問いです。これもイメージで言えば、水平方向に展開する問いです

・まあ、タチの悪いことに、上記でことごとく断定的な物言いを避けているところからお察しの通り、彼が提唱する概念の意味合いを厳密に理解しているわけではありません。が、感覚的な理解としては、そこまで大きく間違っているわけではないと思うし、そもそもそういう概念が存在するということを知ることが、今の段階では大事なのです

・という言い訳を交えつつ、これらの概念を用いて、自分のお勉強についてまたせっせと考えていきます。ということで、2021年第Ⅱ期振り返り、はじまりはじまり