日記346

・それだけじゃなくて、その世界史の授業では、「年号で横串を刺すこと」を繰り返し教えられました。それはつまり、「同じ時代に、世界の違う場所で何が起きていたかを語れなければ世界史を知ったことにはならない」ということです。ぼくは不真面目な浪人生だった(第一志望校も結局落ちました)ので、その境地には至れませんでしたが、「人間の総体」たる歴史をまるごと理解することに対する憧れは今も持ち続けています

・何かを「まるごと」理解すること、となると…それは哲学に近いでしょう。哲学にも、浅からぬ興味がありました。大学一年の時に取った、倫理学の授業で、講師がおもむろに卓上のスタンドを取り上げて、「これはありますか。ないかもしれないと思うのが哲学です」とのたまったのが記憶に残っています。そこから「形而上」学としての哲学の存在を知り、今も興味は尽きません。大学生活の後半以降は、戸田山和久の科学哲学に始まって、木田元中島義道内田樹等々、日本の哲学者/思想家の代表的著作を読みました。ただし、彼らの研究内容というよりは、もっと一般向けに書かれたエッセイでしたが。

・あまり記憶に深入りしないように、気を付けながらいきましょう。「勉強のきっかけ」としては、まだ骨太のものが2つ以上、残っています

・まず、大学時代の初期に、「観光」というものについて調べたくなったことがありました。そのきっかけとしては、自分の田舎で親が営んでいる、観光関係の自営業の経営状況に不安を覚えたということがあります。先ほど述べた、企業金融という視点で勉強したことを活かして、自分ちの商売のバランスシートを見ることにも興味がありました

・こうした不安は、「どうしたらもっと儲かるか」というところから始まって、「そもそも人はなぜ観光をするのか」「観光とは何か」というより抽象度の高い問いに発散していきました。

・さて、ここから、ぼくは現在にも通じるキーワードを一つ、つかみます。それが「動物園」でした。動物園とは、果たして観光地なのか、違うとしたらそれはなぜなのか、というところに興味を覚えたことがきっかけで、そこから人文科学の分野に足を踏み入れることになりました。当時の大学の研究プロジェクトに応募し、動物関連で人文研究をされている教授にマンツーマンで研究指導をしてもらいました。ぼく自身の学部の所属は経済学だったので、「門外漢」として全く新しい分野の研究手法を学ぶことはわくわくしました

・ここでも、きっかけじみたエピソードを。当時の僕は、経済学部生で、かつ、当初の問題意識は観光学にありましたから、例えば、動物園の入園者数は何によって決定されるかという計量分析をしてみたいと思って教授に持ちかけたところ、(教授の専門分野からみて当然かもしれませんが)「そうした統計的手法で得られるインプリケーションには発展性を感じない」と叱咤された記憶があります。その時に、「人文科学」「社会科学」という立て付けを知ったとともに、人文科学とはどのように研究するのだろうかと興味が湧きました