日記313
・記事の数を追いつかせることに意識が向かっていて、乱読ならぬ乱書になっていることは認めましょう
・やっぱり、物事は溜め込むといけないね。猛省しています
・さて。自分は何を考えるべきか、ということを書いていくわけですけど、これ、ほんとにずっと考え続けているな。
・だからあれだ、これ、答えないんすわ。ないしは、問いの立て方が悪いんすわ。
・でも、そういう意味では、一つの問いをずっと考え続けているっていうのは、ふふ、幸せでもありますよね。答えが見つからないおかげで、それを考え続けるということができている。これを考えることをやめたとき、ぼくは死んでしまったということになるんでしょうね
・死、で思い出したんですけど、っていう、およそ良いことが続かなさそうな書き出しですいません
・昨日の朝、出勤のために歩いているときにふと考えたことがありまして。考えたというか、直観を得たというのに近いんですけど。
・自分の思考、頭、想念、心、なんでもいいですけど、そういう、抽象的なものと、自分の身体という、きわめて物理的なものが、分離する感覚を覚えたんです。
・ふと、自分の身体について、自分が死ぬまで無事に役目を果たしてくれるように、大事に使わなくちゃならないな、と思ったんです。
・だから何じゃと問われても、よく分かりませんけど。
・何というか、自分の身体って、ある前提の下ではかけがえのない物じゃないですか。ある前提というのは、完璧なクローン技術が実現しないとか、カニみたいににょきにょき手が生えてこないとか、そういうものです
・自分が死ぬまで自分の身体を大事にしなきゃいけないというのは、科学的にはもろに矛盾を孕むステートメントです。だって、人の死というのはどこまで行っても肉体の生命活動の停止だから。一文で矛盾しているというか、トートロジーです。
・つまり、自分の直観の根底には、精神的な最終到達点みたいなものがあるわけです。それを得るまで、自分の肉体が万全であってくれ、という感覚。
・なんでそんな直観を得るに至ったのか、よく分かりません。そしてその根底にある感覚が、正しいものかどうかもよく分からない。もはや願望かもしれない。精神的な最終到達点、あってくれ、という
・悟り、とでも言うんでしょうかね。人間、いつまで経ってもそういう境地に憧れますよね。何にも動じない、悟りすました精神状態
・自分で言っといてなんですが、そんな状態が本当にあるのかは疑問です。
・ぼくの愛読書の一つは坂口安吾の「堕落論」なんですが、その中で坂口は、小林秀雄を槍玉に挙げて、上述のような悟り澄ました境地を否定しています