日記410

・知的興奮というのは、あります

STAP細胞みたいになっちゃったけど、そういうものがとにかくあるんです。小林康夫/大林真幸の「『知の技法』入門」を読みました

・それを読んで久々に知的興奮を覚えましたという話なんですけど、ほんと、不審者ばりに、髪の毛をかきみだしてしまうほどのインパクトがあった。その一端を、書き留めておきましょう

・大事な話は、第3章で、現代思想と経済理論を結び付けて論じているところです。現代思想の方から、かいつまんでいきましょうか

・大きくは、20世紀における、実存主義構造主義ポスト構造主義、という、おなじみの三段階の思想展開です。

・ということでまずはサルトル。近代というものの成り立ちについて、「実存は本質に先立つ」というテーゼをもって、平たく言えば個人の自由というものを掲げて見せたわけです。主体を、個人に/人間に、投射したということです。

・そして、そうした哲学を批判しているのが、構造主義ですよね。ソシュールヤコブソンという、”言語学者”たちが、実存主義的自由は幻想にすぎず、結局人間は言語的な構造の中に囚われている、と説く。構造によって、実存が規定されているということです。

・ところが、その構造そのものが、実は人間の活動や欲望によって規定されているのではないか、という、「構造の被規定性」を提案するのが、ポスト構造主義なわけです。その典型例が、デリダの「ディコンストラクション脱構築」というアイディア。構造は、閉じたものではなく、色々な形で破綻したり変化したりする可能性を示唆したわけです。こないだ千葉雅也のことを書きましたけど、彼が研究対象とするドゥルーズも、この中に位置づけられるのかもしれない。