日記62

・肘から鎌を出したい

・世の中の大体の男性は、肘から鎌を出したがっています

X-menウルヴァリンの爪のように、ピンチになった時に、肘から鎌を出したい。日中は、大体そういうことを考えています

・日常生活の中のピンチに、肘から出た鎌がどう役に立つのか、そんなことはどうでもよろしい

・そういったことはいったん置いておいてですね、空手の話をします

・自分が空手を始めたきっかけは、「扇の的を射たい」と思ったからでした

・何を言っているかわかりますか。ぼくにはわかりません

・当たり前だと思われるかもしれませんが、空手の突きというのは、相手に正しく当たらなければまったく意味がありません。正しく当たるというのは、自分の力が余すところなく相手に伝わるという意味です。それができないと、腕の筋肉だけで相手を殴ることになり、酔っ払いの喧嘩と何も変わらないばかりか、自分の力を自分で殺すことになり、これは大変非効率です。大体、人間の腕の力などというものは、たかがしれている

・空手のお稽古を積んでいくと、自分が生み出した力を正しく相手に伝えることができます。それも、相手の身体的な弱点とされる部分(いわゆる鳩尾、眉間等)に、精確に。これがまさに「扇の的を射る」感覚であり、これは身体の使い方として、大変効率がいい。ぼくはこういう風に、自分の身体を正しく使える、自分の身体ときちんと向き合う感覚を求めて空手を続けています。

・少し話は変わりますが、誰かと議論する際にも、相手の「扇の的を射る」感覚があると思います。相手の言わんとすることを端的に理解し、それを簡潔にまとめて言語化し、議論の流れに沿って自分の意見を適切に提示する。そうしたキレのいいコミュニケーションができると、とても気持ちがいいんです。まあ、要するに、頭を使った議論だけでなく、身体を使って似たようなことができるのが面白くて、空手を始めたわけです

・でも、今、空手を続けている理由は、少し変わってきています。今は、「どこにも重心をかけない」訓練のためにやっています。「どこにも力を入れない」と言い換えてもよろしい

・これも自分の内面の話ですけど、ぼくはどうでもいいことでよく悩みます。悩みの大半は、「将来への不安」と「過去の後悔」でありまして、まあ、冷静に考えれば、悩んでも仕方ない類のことです

・これはですね、自分の中の時間軸を仮定したときに、将来とか、過去とかに重心がかかっている状態なんです。これは、不要なところに力が入る原因になります。空手では、こういう状態は許されません。自分が力を発揮するには、将来のことや過去のことを考えてはならないのです。いつでも、今、この瞬間に、自分の力を周りに正しく伝えられるよう、自然に構えていなくてはならないのです。

・そのためのポイントの一つは、心も身体も、柔軟さを保っておくことです。ぼく、めっちゃ身体固いですけど

・まあ、そうは言っても、将来への不安も過去の後悔も、なかなか拭えるものじゃないんですけどね。とにかく今、目の前のことに集中するというクセ付けくらいには、空手のお稽古は役立ちます。

・こんなところで空手論をぶっていること、絶対に誰にもバレたくない

・勉強会の資料作りは終わりました。よかったね。機会があったらこのブログにも載せます