日記409

・話は、「動きすぎる」ということについて、です

・先の理論を踏まえると、ぼくは通常の人の二倍のコードを備える必要にさらされます。アカデミシャンのコードと実務家のコード、小説家のコードとサラリーマンのコード、オタクのコードと不良のコード、若者のコードと老人のコード、男性のコードと女性のコード…。

・そしてそれらのコードの、どれも完璧には/満足には実践できないというジレンマに苦しんでもいます。

・じゃあ、それどれかのコードのみを選び取って忠実に実践しなさいということになるわけですが、それができないというのが自分の”享楽的”なこだわりなんです。つまり、常にバランサーとして機能していたいという欲求が、これはもうたぶん本能レベルであるんです。この自分は、もう受け入れて生きていくしかない。それが自分の強みであり弱みであるということを、いい加減自覚的に受け入れましょう

・ちなみに、これは、武道的に言えば、まさに居着かないということになります。どこにも重心をかけず、常にどちらにでも動けるようにしておくというのが自分の価値観にフィットしたからこそ、内田樹の身体論なんかがすっと頭に入ってきたし、ひいては武道を続けていることに繋がっているんです

・ということで、どうしても、常に、複数のコードの間を「動きすぎてしまう」のだということが、この齢にしてやっと身に染みて分かりました。問題は、そんな自分がこれからどうやって生きていったらいいのかということです

・でも、こういう人、結構いそうですね。その中から、自分の師となりそうな人を見つけて、私淑すればいい