日記111

・なんの脈絡もないんですけど、週末に考えたことをまとめておきます

・世の中には、「〇〇が生きがい」っていう人がいると思うんですけど、その人の生きがいは本当にそれだけなのでしょうかということです

・まあ、人は何のために生きてるのかということです

・前提として、「〇〇が生きがいだ」と断言できる人のことを羨ましく思っています。ぼくにはそういうものがないので。何かを生きがいと言えるだけのめりこんだり、熱中したことは、ほとんどない。それらしいものはあったにはあったんですけど、その具体的な内容についてはここでは重要ではないのでまたあとで

・それに、自分にとって生きがいと呼べるものを持っている人は、何となく人生が充実している感じがある。だから、ぼくもそういうものを持ちたい、という前提でスタートしましょう

・で、ぼくはものすごく疑り深い人間なので、そもそも人間には、生きがいと呼べるものなんかないんじゃないかというところから話を始めます

・上記でいう「○○」、これを「至上の喜び、生きがい、それそのものを自分が全肯定できる、また、それによって自分が全肯定される」ような行為/状態と定義します。これをAとしましょう。はたしてこのAは、この世に存在するでしょうか

・結論としては、存在すると思います。そう思う理由を以下に書きます。

・まず、何をもって「何かが存在する」と言えるか、考えました。ホワイトボードに、黒いペンで四角を書きます。その中に、黒い点を打ちます。この黒点が存在すると、どうして言えるのか

・答えは簡単で、「白い背景に、黒い点が打たれているのが見えるから」。当たり前に聞こえるかもしれないですけど、ここには思考のポイントが二つ、あります。

・まず、白と黒が違うものである、と誰もが認めるということ。白に対して黒がdistinctiveであるということです。どれだけの人が、このポイントを認めてくれるかということが重要になってきますが、少なくともある程度ぼくと類似した文化を共有する人の中で、「白は黒である」と主張する人は多くないとぼくは思います。

・もう一つは、黒点が見えるということ。見えるでも聞こえるでも何でもいいんですけど、とにかくあるものとそうでないものが存在することが知覚できるということです

・この二つの条件を満たすとき、「白背景の四角の中に黒点が存在する」と言っていいと思います。これをAに当てはめると、「Aとは違うもの(=A´)があると多くの人が知覚する限りにおいて、Aは存在する」と言っていいと思うんです

・さて、代名詞をもとに戻しましょう。以上の思考実験から、このようなことが言えます。「人にとっての至上の喜び、生きがいは存在する。なぜなら、至上の喜び、生きがいを感じられない状態の人がこの世にはいるということを、多くの人が知覚しているから」。このステートメントは、あらゆる意味で完璧ではありませんが、大抵のケースで大筋合意を得られるものと思っています。

・どうでもいいですけど、この、「みんながあると思ったものはある」というロジックは、マーケットの価格形成理論と通じるものがあって面白いですね

・で、なんでこんなことを考えたかというとですね、これは現代人が抱える悩みの一つだからだと思ったからです

・今回のコロナの件で、ぼくらは既に、世界をかなり相対化して見ていることがはっきりしました。400年前にヨーロッパが作り出した「国家」というシステムは、いまだ強力に稼働はしていますが、誰もがそれを絶対視できるような状況では到底ない。とくに、州連合国家としてのアメリカのつまづき、市場超越国家としての中国の動揺は印象深い出来事です。互いに貿易戦争をしていた昨年一昨年よりも、コロナが与えた影響ははるかに大きい

・日本については語るにあらず

・では、国家を超えた共同体や組織はどうかというと、出資国の政治に左右されるWHOだけでなく、多くの組織に動揺が走り、発揮しうる力の小ささが露呈しました。IMF新興国支援を頑張ってますけど、先行きの不安はぬぐえない。別件ですけど、EUから離脱したイギリスがさっそくEUに楯突いているのも象徴的です

・こうした出来事はぼくらが心のどこかで想定していたことではあるけれど、改めて目の当たりにする羽目になりました。これから訪れる不況の匂いと、経済活動の停滞に伴う事業の停止、減給、雇用の喪失、それらの結果として貧困を、誰もが本能的に感じています

・そうすると人々の心に生まれるのは、救いの希求です。現実的な問題に対する解決策の希求とは別に、心の拠り所、救いを求めるでしょう。その時必要になるのは、「自分にとって絶対的な存在」、神でも仏でも何でもいいですけど、そういうものです

・ただ、特に日本人は、誰もが宗教的な特定の信仰を持っているわけではありませんので、神仏等の超人類的な存在以外に、救いを求めるわけです。それが「生きがい」であり、「至上の喜び」であり、自分が全肯定できて、かつ、自分を全肯定してくれるものなんです

・で、さっきの思考実験に戻りますけど、どうやらこうした「生きがい」なるものは、存在しそうです。しかし、それが具体的にどんなものかと聞かれると、途端に分からなくなる。哲学問答で、洞窟の壁に映った影みたいな話があったかと思いますけど、あれです。まさに、イデアそのものがどんな形をしているのか、我々には知りようがない。統計でいえば、母集団の分散が分からないのと同じです

・そこには、ヒントだけがあるんです。イデア論でいえば洞窟に映った影、統計でいえばサンプルだけが確かに存在する。A’の形は嫌というほど分かるのに、Aの形はまったく分からないんです

・ここまで書いて気づきましたけど、もしかすると、こうしたヒント、フラグメントそのものが答えなのかもしれない

・気づき、得やがって、コノヤロ~~