日記394

・という感じで、動物園関連のモチベーションが少しはっきりしたところで、一つ目の柱である、自分のお勉強について考えていきましょう

・ちなみに、こういう、自分のビジョンとかやりたいこととかに関する考察については、ぼくは水彩画方式を取ります。つまり、あっちを塗り、こっちの色を少し重ね、という具合に、少しずつ微調整を加えながら、全体のバランスを見ながら、自分の人生をデザインしていきます。というか、それしかやり方を知らないので…。一点豪華主義的な、ある分野にリソースを全振りするような生き方ができないんですよね

・器用貧乏とも言う。貧乏上等ですけど。

・さて、お勉強。やり方を、改めて復習してみましょう

 

dshio3721.hatenadiary.com

 ・まずは自分の知識の棚卸しから始めて…というお決まりのやり方ですね。さて、その上で考えたいのは、2021年第Ⅰ期のリサーチが、なぜ途中で躓いてしまったのかという点です。

・一つには、理由がはっきりしていて、自分の興味関心から外れたことを調べてしまったということがあります。「知りたいこと」よりも「知るべきこと」を優先してしまった。自分のプライベートな知的関心事項よりも、業務で求められる知識の習得に努めてしまったということです

・ただし、人は必要に応じて学ぶのが一番効率が良いので、上に書いたことそのものが悪いとは思わないんですけど…。実際、上記のような調べ方をして身に着いた知識もあるし

・ということは、他にも要因がある可能性が高いですね。ちょっと紙に書いて考えましょう

・考えました。いくつか、要因の候補を挙げてみます

・①アウトプットに関する考察が不十分だった:自分がどれだけの知見を蓄積できたのかを確認する仕組みが欠けていました。このため、自分がリサーチのどの段階に来ているのか、把握しにくかったほか、モチベーションの維持も難しくなっていました。 

・そもそも、アウトプットをどんなものにするか、想定していなかったということです。したがって、リサーチのアウトプットを他人に共有することもできず、自分の中だけでリサーチが閉じてしまっていました。

・②「薄く塗る」というリサーチの骨法に関する認識が欠けていた:本来、「カルテ」等の知識の棚卸し作業は、リサーチがある程度進んでからも定期的に行うことで、自分が今、どこに立っているかを把握するメソッドでした。

・リサーチの手法は、一度やったらおしまいという不可逆的なものではなく、特定のテーマに関して同じ手順を繰り返し踏むという態度が必要なんだと思います。

・③捌ききれない情報を積み上げたことにより、「知的欲求」が呼吸できなくなった:途中から、調べものが淡々とした作業になってしまいました。これはつまり、自分が知りたいことが何なのか、分からなくなっていたということです。

・膨大な情報を前に、思考が停止していたというか、考えることをやめてしまったんですね。脳のワーキングメモリを情報処理に使ってしまい、自分が何を知りたいかという理性に問いかける余裕がなくなってしまった。

・以上三つが原因の候補ですが、真因としては③を挙げようと思います。結局、その日積み上げた情報を処理しきれないから、やる気も失ってしまったし、アウトプットのイメージもつかなかったんです。したがって、「薄く塗る」というリサーチの骨法に対する意欲も失われてしまった

・ううん、我ながら見事に、問題解決に向けた思考をできている。ほんとうにえらい

・そしてこれは、自分の本質をも見事に表していると思うんです。実際、ぼくはスピード感を持って情報収集することに長けています。これに関しては、これまでもトレーニングを積んできました。必要とされる情報を、時には力ずくででも、手元に持ってくることができる。一方で、取ってきた情報を厳密に解釈したり、整理したり、活用したりするのが苦手なんです。

・自分のお勉強を通じて、自分の強みや弱みまで見えてくる。これこそがお勉強の本懐ですよ

・ということでどうすればいいのかは、次の記事で