日記275

・まず、高校時代、数学が全くできませんでした。数学については、なんなら、中学から苦手だったわけですが、これについて最近思うのは、そもそも「勉強する習慣」がなかったんです。

・計画を立てて、自分の得意不得意を把握し…的な、学習塾っぽい発想がまるでなかったことも要因だとは思います。でもそもそも、何か、自分の思考のクセのせいである気がしている。

・どういうことか。えーとですね、ぼく、多分、直観的な理解が大変得意なんです。その逆に、論理的な理解と言うものが、まるでできない。もっと言うと、論理をまるで信用してないんです。

・その背景について一言触れておくと、幼少期に、とんでもない自然の中で育ったからであると思います。つまり、論理の通用しない世界なんです。

・印象深い経験を書いておきます。小学校に上がる前だったと思いますが、夕暮れ時の山の中、と言ってもスキー場でしたが、誰もいない吹雪の中に一人取り残されて、泣いていた記憶があります

・自分の力の範囲を圧倒的に超えた自然の猛威の中で、自分の無力さを突き付けられたわけですよ、カッコよく言えば。つまり、泣こうが喚こうが、どうにもならない状況に置かれたわけです

・その時は、まあこれは余談なんですけど、親ではない誰かが偶然通りかかって、助けてくれました。その際に、「泣いてもしょうがないでしょ」と言われた記憶があります。で、それを言われて、「確かに泣いてもしょうがないな」と思って、はたと泣き止んだ記憶もあります。

・えー、何が言いたいかと言うと、自分の能力の範疇を大きく超えた生命の危険にさらされたときに、論理と言うものへの信頼を勝手に失ってしまったわけです。あの時に、自分の頭で何かをごちゃごちゃと考えて、論理的にはこうすれば助かる、みたいなことを考える力もなかったし、それを実行する力もなかった

・その代わり、直観的な理解、例えば目の前の事象を具に観察して危険を事前に察知する、みたいな思考のクセが付いたんだと思います。

・分かりやすい話、目の前の事象を自分の経験と結びつけて、それが持っている/これから持つであろうインプリを導き出す、という思考です