日記74

・3月の半ばなのに雪が降ってる。雪好きなんでいいんですけど。

・久々に何の予定もない土日ですね。これまで認めまいとしてきましたが、ぼくは人と会って何かするのがストレス解消になるみたいです。一人の時間も必要なんですけど

・そもそも人間ってそういうもんか、という気づきは、まあ、なかったことにしてですね

・通常の勉強と家事、ジム以外には、何もすることがないということで、こうなってくるとそれはそれで気持ちが悪いんですよね。なので自分が好きなことについて書いておきます

・日本の多くの若者が一番暇を持て余すのは大学生時代だと思うんですけど、とくに就職が決まって卒業の目途もついたあたりが一番時間が余ってやることないんじゃないかと思うんですよ。んで、その時期に自分が何をしていたかというと、自作の雑誌を編集してたんです

・といっても大したもんじゃなくて、まず体裁に関していうと、A5サイズで数十ページ、パワポで文章と画像を構成して、自分でアスクルに持ち込んで印刷、というカンジ。ちなみに30部くらい印刷したんですけど、カラーで刷ったし紙もまあまあ良いの使ったので、印刷代がとんでもなく高くついて、出版業界の厳しさ的なものを知りました

・中身については、大学で勉強した経済学を中心に、デザイン論とか、法学とか倫理学とか幅広く扱って、合計で12個くらい記事を掲載しました。

・ポイントだったのは、大学時代の友人に声をかけて、各人が詳しい分野について文章を書いてもらって、それをぼくが編集して記事にするっていうスタイルでありまして、これがすげー楽しかったんですよ。友達も自分の好きな分野のことだから喜んで記事を書いてくれるし、それを読者にどう分かりやすく伝えるかってことを自分で考えながら、文章や構成をああでもないこうでもないと編集していく作業にハマりました

・これをまたやりたいと思うことがよくあって、その理由については以下の二つが考えられます。まず、ぼくが、なんかしらを「まとめて整理する/良いカンジにディスプレイする」ことが好きだから。デザインが好きと言ってもいいかもしんないですけど、何かの良いところを見つけ出して、その魅力が全面に出るように工夫するのが好きだっつーことですね。そういう意味で、紙面のデザインも好きだし、友達の得意なものや好きなこと、いいところを勝手に見出してそれを成果物に落とし込んでもらうプロセスにゾクゾクするんですね

・新手の変態じゃん

・もう一つは、まあ、気持ち悪いですけど、「知的生産が好きだから」ですね。普段頭ん中でしょーもないことをぐるぐる考えてるんですけど、そこに堆積したものを、文章とかデザインとか、なんかしらのフィルターで濾して、他人が見るに堪える、つまり他人が理解/共感できる意味の塊に構成し直すことが好きなんですね

・なんじゃそりゃ

・だからまあ、このブログもそうなんですが、なるべくそういう生産活動をたくさんしたいんですよね。ただ、常に悩ましく思っているのは、それをどういう形でやるのかということでして、ご案内の通りブログは毎日書いてますけど、それだけじゃイヤなんですよ

・わがままboy

・まあ、どんな形でもいいのか。とりあえず、予定よりちょい遅れましたけど、8月に向けて自分の小説のことを考えましょうね

・じわりと話が変わるようで変わらないんですけど、今の自分の仕事を一言でいうと「リサーチャー」です。とくに社会情勢の経済/金融面について、アナリストやエコノミストほど短期かつ専門集中的な分析をするわけではないし、アカデミックな研究者ほど息の長い研究をするわけではなく、大体毎日~長くても3か月くらいのスパンで分析メモなりレポートなりのアウトプットを出していく、そんなお仕事です

・小説を書くというのも、社会に向けてアウトプットを出していく行為でありまして、前段の「まとめて整理する知的生産」の話とも関連するんですけど、まあつまりそういう行為が好きなんですね

・そんで、まずポイントとなるのは、「何をテーマとするか」、次にポイントとなるのは、リサーチだったら「どんな分析アプローチを用いるか」、小説だったら「どんなモチーフを採用するか」、ということだと思うんです。

・おー、文章を書いてる間に思考がまとまってきた、これがブログの効用なのか

・まず、テーマに関しては、リサーチでも小説でも一緒だと思うんですけど、「みんな=社会が興味を示すような問いを立てること」が大事なんじゃないですか。リサーチ結果も小説も、多くの人に読まれてこそ価値があるわけですから、みんなが「確かにこの問いについては一考の余地がある」と思うようなテーマを掲げる必要があるわけですね。

・そういう意味で、常に社会の動向をウォッチしておく必要がありますし、社会制度や歴史、文化について幅広く理解できるように、知識を蓄積/アップデートしていく必要があるんだと思うんです。厚みのあるインプットがアウトプットを支える的なことをぼくは言わんとしています

・次の、分析アプローチ/作品のモチーフについては、テーマで掲げた漠然とした問いをどういう角度から切るか、ということになるわけですけど、ここに製作者の個性が出るわけですね。つまり、製作者がどんな経験をどれだけ積んできたかということが大事になってきて、それが成果物に深みを与えるわけです。例えばですけど、トム=ジョーンズという作家はボクシングやベトナム戦争といったモチーフをしつこいほど採用しますし、沢木耕太郎だったら旅行/放浪、吉田修一の作品にはプー太郎がよく出てきて、宮本輝は大戦前後の関西をよく書くわけです

・んで、まあそうした抽象的な話はいいとして、じゃあ具体的に自分がいまどんな状態でいますかと言われたら、プライベートでの分析/小説のテーマについては既往のものをいくつか抱えています。それは「人間と動物は何が違うんじゃい」というものであったり、「世の中は何でこんなに生きづらいんじゃい」というものであるわけで、前者の問いを動物園という切り口から分析したり、昨年は後者を「骨」というモチーフで小説にしたりしてきたわけです

・ただこの二つは、必ずしも時機を捉えていないというか、今この瞬間書かなくちゃならないという切迫性があんまりなくて、テーマとしてはかなり普遍的なものです。なので、時機を捉えたテーマを新しくひねり出すか、タイムリーなモチーフ、ちょっと角度のついた切り口で切ってあげる必要がある。特に前者は、切り方を間違えるとまったく興味を持たれないばかりか、怪しい動物保護論者だと誤解されちゃう

・ただまあ、普段からぐるぐる考えていても、今のところ上記二つ以外に、自分が発信しなきゃいけないと思うことは、そうそう出てこないですね。なので、引き続きこの二つ、とくに今年は後者のテーマについて、面白い切り口を見つけていかないといけない

・今のところなにかアイデアがあるかと言われますと、一つには「嘘」というものがあります。嘘をついてしまう人って、その場その場ではうまいこと生きられても、真綿で首を絞められるように段々と生きにくくなってくる。でも、人って、見栄を張るためとか、場を盛り上げるために、ちょっとした嘘、ついちゃうじゃないですか。かわいいやつ。それが徐々に蓄積されて、呼吸が苦しくなってくる感覚、これは多くの人が抱える問題意識なんじゃないかと思ってるんです、それが良いこととか悪いことという話ではなくてね

・何より、自分に真正直に生きていくってことは実は色んな意味で相当難しいことでして、っていうか、今日のブログ、長すぎませんか

・この「嘘」というモチーフを、さらに細分化して、どんな形で扱っていくのが適切か、それをこれから考えようと思います

・今日のブログみたいな、なんのためにもならないことをごちゃごちゃ考えるの、楽し~~

・誰にも知られたく、な~~い